cinderella theory
ブラックミュージック遍歴③ ~初めてのPファンク~
The Cinderella Theory/George Clinton

どうやら自分はブラック・ミュージック、なかでもファンクが好きみたいだと気付きだした頃に、とうとうこの人に出くわしてしまった。
プリンスの90年作『Grafitti Bridge』随一のファンク・ナンバー「We Can Funk」。この曲に参加していたジョージ・クリントンという人が一体何者なのか、まだインターネットもなく、雑誌「FMステーション」(恥っ)が唯一の情報源である九州の片田舎の高校2年生には知る術もなかったのだが、どうやらこの人、プリンスのレーベル、ペイズリー・パークからアルバムを出しているらしいことを知り(FMステーション誌にもアルバム・レヴューが載ってた)、町で唯一の(電器店兼)CDショップに注文して手に入れた。リリース年は89年だが、以上のような経緯を辿っているので、購入したのは90年だ。
で、このアルバム、個人的にはその内容よりも日本盤ライナーノーツに価値がある。ライナーを書いているのは佐藤英輔さんで、愛読誌FMステーションでもロックを中心にブラック・ミュージックのレヴューも書いていた人で、当時はよく佐藤さんのレヴューを頼りにCDを買っていたのだ。で、このライナーで多くの重要な事実をようやく知ることになる。クリントン一派はPファンクと呼ばれていること、70年代にはパーラメント/ファンカデリックとして絶大な影響力を誇っていたこと、そしてプリンスもPファンクから多大な影響を受けていること。なかでも印象的なのがライナーで述べられた次の一文「JB-スライ-Pファンク-プリンス、真実の革新ファンクの脈図」。これはファンク・ファンにとっては家訓とも言えるような、よく知られた言葉で、今ならプリンスの先にディアンジェロを加えて用いられることもある。これがいつ頃、誰が言い始めたものか知らないが、『Cinderella Theory』のライナーを読んで、自分の進むべきファンク道を指し示されたようで、以後この真実のファンク系譜を(多少寄り道しながら)遡って聴いていくことになる。
一応、アルバムの内容に触れておくと、不遇を託ったCBSから心機一転、プリンスのバックアップを得て、クリントンもかなり気合が入っていただろうことは、まったくPファンクっぽくないスカしたジャケットからも想像できる。そのせいか、このアルバムは今ではPファンク・ファンからはほとんど黙殺されているかのようで、ほとんど語られることもないのだが、息子トレイシーやアンプ・フィドラー、ブラックバードなど若手を大幅に起用した、なかなかフレッシュな力作だと思う。特に、トレイシー作の1曲目「Airbound」と、アンプ作の2曲、タイトル曲「The Cinderella Theory」とスライっぽいクールな「(She Got It)Goin' On」が好きだ。パブリック・エネミーをゲストに迎えた「Tweakin'」は、彼らのラップを大きくフィーチャーしながらも、サウンドはヒップホップにまだ近づき過ぎていないのが良い。