prince in the studio

ジェイク・ブラウン著『Prince In The Studio The Stories Behind The Hits 1977 - 1994』の和訳版。
原書は2010年の刊行のようだが、その後2017年に最終章(2016年4月21日のあの日以降)を追加し出し直されたもの。
訳者はジョージ・クリントン自伝も翻訳した押野素子さん。何でも、原書には間違いが多くあり、今回の翻訳版にあたっては逐一事実確認のうえ誤りを修正しているとのこと。最初にDUブックスからアナウンスのあった予定より半年ほど遅れての発売となり、今かまだかと心配しながら首を長くして待っていたのだが、なるほどそういった理由があったのか。しかしこれは待った甲斐が有りまくりの労作で、プリンス・ファンにとっては素晴らしく嬉しい一冊。まずは訳者の忍耐と努力に感謝したい。

あの日以来、ディスク・ガイドをメインにした追悼本が多く出版されたが、本書はそれらとは大きく趣きが異なる。この邦題が示すとおり、プリンスの数多ある名盤・名曲がどのようにしてレコーディング・スタジオで生み出されていったのか、具体的には、1978年リリースのデビュー・アルバム『For You』から1992年の『Love Symbol』までの作品、『Black Album』を含めて計15枚のアルバムのスタジオ・ワークについて詳らかに語られている(原書のタイトルが - 1994 となっているのは、『Black Album』の正式発売が94年だからか)。
証言を寄せているのは、マット・フィンクやウェンディ&リサらバンド・メンバーやコラボレーター、そしてデイヴィッドZやスーザン・ロジャーズなど歴代のレコーディング・エンジニアたち。
彼らの多くが口を揃えて証言するのは、尋常ではない仕事量とスピードとクオリティを可能にするプリンスの圧倒的な天才と、人の業とは思えないハードワークの源となる人並み外れた努力と情熱だ。

とにかく、プリンスその人のスタジオの魔人ぶりが常人の理解を遥かに超えていてモノ凄い。
頭の中に湯水のごとく曲が湧き出てくるプリンスは、それを片っ端から次々と録音する。アイディアの断片とかそんなものじゃなく、曲は頭の中で完璧に出来上がっているのだという。曲はどんどん湧き出してくるので、どんどん録音していかないと追いつかない。何と恐ろしい才能。
そんなことだから、どんどん録音できるようにプリンスは1日のほとんどをスタジオで過ごす。スタジオにいる時間の大半をレコーディングに費やし、残りの時間はバンドのリハーサルに充てる。家に帰ってからの時間もほとんどをデモとリハのテープ・チェックに使い、残された僅かな時間で風呂に入る(寝た形跡がほとんどない)。
ツアーに出ていない時はそんなルーティンを毎日毎日続けるプリンス。ツアーに出ていても、週末はミネアポリスに戻りスタジオに籠もりレコーディングとリハとテープ・チェック...、という日々(本書では語られていないが、ツアー先でもリハにライヴにアフター・ショウに、空いた時間に曲作り...とやはり寝る間はほとんど無し)。
ある者は感嘆と尊敬の眼差しで、ある者は畏怖の念を抱き、またある者はその常軌を逸した狂いっぷりに半ば呆れたように、プリンスがどれほど凄かったを語ってくれる。

人一倍自分に厳しいプリンスは、彼らバンドや技術者達の仕事に対しても厳しかったようだ。プリンスと一緒に仕事をする者は、常に最高で最速のパフォーマンスを発揮することを求められる。過酷な労働環境下でこの上なくクリエイティヴな作業を強いられることになるが、プリンスを悪く言う者など誰一人としていない。プリンスの無茶振りで泡食ったり、慢性的な睡眠不足に悩まされたりといった、当時の苦労話の中にもプリンスへの敬意と愛情が溢れている。
特にエンジニア達から語られる内容は、非常に詳細な機材や技術的な情報も多く、個人的にはその辺りのエピソードの内容がほとんど理解できないのが何とももどかしいのだが、分かる人が読めば相当に貴重で驚くべき内容なのだろうということは想像がつく。

また、音楽家プリンスのバックボーンとなる幼少期~デビュー前の話も興味深い。
両親の離婚後、親戚をたらい回しにされたり、学校でひどくいじめられたりと辛い時期を過ごしたが、一方でキャリア初期までのプリンスは人との出会いに恵まれていたとも思う。
音楽家として身を立てることを共に夢見、互いに切磋琢磨して腕を磨いた親友のアンドレ・シモーンとモーリス・デイ。住む家のない少年プリンスを引き取り面倒を見てくれたアンドレの母親バーナデッド・アンダーソン。
レコーディング・キャリアの第一歩を後押ししてくれたぺぺ・ウィリー。その類稀な才能を即座に見抜き、自身のスタジオを自由に好きなように使わせてくれたクリス・ムーン。やはりプリンスに惚れ込み自身のビジネスをやめてまでマネージャーとなり、ワーナーとの超破格契約を取り付けてくれたオーウェン・ハスニー。

こういった人たちとの出会いがなければ、ひょっとするとその後のプリンスはなかったかもしれない。
特にデビュー前の見習いの時期に、作詞作曲からアレンジ/プロデュース、楽器演奏のスキル、スタジオ・ワークのノウハウなどを集中的に体得できる環境があったのは非常に大きかったのではないかと思う。と言っても、誰かにそれを学んだというよりも、自分で機材をいじくり倒して独創的なレコーディング技術をマスターしたというのがまた凄い。
そして、デビュー作にしてすべて作曲・演奏しセルフ・プロデュースできる権利を大メジャー・レーベルから勝ち得たのも重要。もし誰か他の人のプロデュースでデビューしていたら、後のキャリアを通じて貫かれた完全なるDIY精神も、真に独創的な作品の数々も生まれていなかったかもしれない。プリンスは最初から他の誰からもプロデュースされるべきではないというオーウェン・ハスニーの強い信念と尽力には、ファンとして本当に心から頭が下がる思いだ。

他にも書きたいことは山ほどあるのだが、あまりネタバレしてもいけないのでこの辺で。プリンスが人生の大半の時間を過ごしたスタジオでの、その生き様を知ることができる貴重なこの本、プリンスのファンにはぜひ読んでいただきたい。