art neville

ミーターズのリーダーとして、ネヴィル・ブラザーズの長兄として、永年にわたりニューオリンズの音楽シーンを牽引してきたアート・ネヴィル。
ホウケッツのメンバーとして「Mardi Gras Mambo」でデビューしたのが1953年、17歳の時。その後、60年代半ばには自身の名を関したバンド、アート・ネヴィル&ザ・サウンズを結成。このバンドはアートの他に、レオ・ノセンテリ、ジョージ・ポーターJr、チャールズ・ネヴィル、アーロン・ネヴィルという錚々たるメンツ(この他に、ネヴィル・サウンズというバンド名で、メンバーはアート、アーロン、シリル・ネヴィル、ノセンテリ、ポーター、ジョセフ "ジガブー" モデリステの6人だったとするデータもあるが、アート・ネヴィル&ザ・サウンズ→チャールズ脱退、シリルとジガブー加入→ネヴィル・サウンズという流れだろうか)。
いずれにせよ、この体制で活動を続けていたらモノ凄いことになっていただろうが、このバンドは程なくして2つに分裂。ニューオリンズの人気クラブからレギュラー出演の声が掛かったものの、クラブ側からは雇えるのはバンドのみでヴォーカルは要らないと言われ、やむなく4人だけで出演するようになったのがミーターズの始まり(一方のアーロンとシリルは新たにバンドを立ち上げ、ここにはサム・ヘンリーやゲイリー・ブラウンらが加入し、やがてサム&ザ・ソウル・マシーンへと発展)。

以降のミーターズ、そしてネヴィル・ブラザーズの活動は周知のとおり。
個人的には、やはりアートはミーターズの鍵盤奏者/ヴォーカルとしての印象が強い。ジョシー時代の初期3作でのファンキーで鄙びた味わいのオルガンはもちろん最高だし、リプリーズ移籍後には、「Jungle Man」のドス黒く蠢くクラヴィネットや、「Love Slip Upon Ya」でのクールに疾走するエレピなど、70年代のファンク・バンドのキーボーディストに求められるスタイルまで幅広くこなした。一方で「Cabbage Alley」や「Mardi Gras Mambo」(ホウケッツ時代の再演)など、伝統的なニューオリンズ・スタイルのピアノもしっかりと聴かせてくれた。

また、ひょっとするとプレイヤーとして以上に印象深いのがシンガーとしての佇まいだ。ミーターズが本格的にヴォーカル曲を取り入れるようになった『Struttin'』で歌っていたのはアートだったし、以降も基本的にはミーターズのリード・ヴォーカルを務めたのはアート(シリル加入後は2人でリードを分け合った)。
ファンキーな曲でのヴォーカルもイイが、更に素晴らしいのがバラード曲での歌唱。背中で語るような、不器用な男の哀愁が滲むその歌は、本当に沁みる。ニール・ヤングのカバー「Bird」なんか、聴く度に泣けてくる。ライヴではよく歌っていたらしいニュー・バース「Wild Flower」のカバーもイイ(ブート臭いライヴ盤『At Rozy's』で聴ける)。

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ネヴィル・ブラザーズではアーロンの艶やかなヨーデル・ヴォイスとシリルの熱くソウルフルなヴォーカルとの対比で、アートの歌も存在感を発揮。年輪を刻み枯れた渋味が滲むアートの声は、ネヴィルズの音楽の重石となっていたと思う。
『Yellow Moon』や『Brother's Keeper』といった名作は高校生の時にリアルタイムで聴いていたが、当時はまだあまり良さが分かっていなかった。"世界最強のライヴ・バンド"という触れ込みに惹かれて買った『Yellow Moon』は、ダニエル・ラノワによる独特な音像もあって、スタジオで緻密に作りこまれた作品という印象で、ライヴ感溢れるサウンドを期待していた自分はやや肩透かしを喰らった気分になっていたのだが、その後にミーターズやドクター・ジョンなどの豊饒なニューオリンズ音楽に出会う入り口になった作品であり、もちろん今では愛着を感じるアルバムだ。
ニューオリンズの音楽へと自分を誘ってくれたアートの鍵盤と歌は、これからも大事に聴いていこうと思う。

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やっぱりこの4人が生み出すグルーヴは最高! まさにFunky Miracle!!