当ブログのごく初期に、70年代10大ファンク・バンドというテーマでアルバム・レヴューを書いていたことがあったが、そういえば80年代はやってなかったなぁと思い、今回の記事を書いた。
70年代のファンクと80年代のファンク、それぞれに抗い難い魅力があるが、70年代のファンクは、ロックやジャズやラテンやアフロなど、様々な要素が混ざりあったハイブリッドなゴッタ煮音楽で、ファンクやソウルに混ざる異物感や、未整理で混沌とした感じは個人的には大好物。

ちなみに、以前に70年代の10大ファンク・バンドとして挙げたのは以下のとおり。
Sly & The Family Stone
JB's
Parliament
Meters
Ohio Players
Kool & The Gang
Tower Of Power
War
Isley Brothers
Earth, Wind & Fire


ただそういった雑味のようなものは70年代後半には段々と薄れていき(=洗練されていき)、ディスコ禍をくぐり抜けた80年代には、機材の発達や録音技術の発展もあり、精錬された純度の高いファンク・サウンドが生み出される。
テクノロジーの進歩は、やがてファンクの生命線であるドラムにまで侵食する。かつて複合的だったファンクのリズムは、プログラミングされたビートによって均質的なモノへと単純化していくが、これもダンス・ミュージックとしては純化の道を辿ったと言ってもいいのかもしれない。
そういった変化の中で、ファンクの有り様も変わっていき、80年代末にはファンク・バンドという生き物はレッド・リスト入り。やがて音楽ジャンルとしてのファンクはほぼ消滅してしまうが、ファンクは音楽要素としてヒップホップなどにそのDNAを残している。

そんな、ファンクが音楽ジャンルとして成立していた最後期である80年代に活躍したファンク・バンドの、個人的な10選。



zapp
1. Zapp

80年のデビュー以降、ロジャー存命中にザップとしてリリースしたアルバム5枚すべてが80年代の作品であり、ロジャーのソロ作も含めてその全てにおいて駄作が無い。80年代に集中的に良質な作品を残し、ディケイドを通じてファンク・シーンを牽引し続けたザップこそ、80年代最高のファンク・バンドであることに誰も異論は無いだろう。
肉体的なバンド・サウンドとシンセサイザーなどの電子楽器を有機的に絡めた生々しくもエレクトリックなサウンド、馬鹿デカいハンドクラップに合わせて強力にバウンスするビート、そしてロジャーの操るトーク・ボックス。最新のファンク・サウンドを提示しながらもジャズやブルースなど黒人音楽の歴史を包括するような芸の広さと技量の深さも彼ら、というかロジャーの魅力だ。
ヒューマン・ボディやニュー・ホライズンズといった子飼いグループ、またザップ・メンバーから単独でアルバム・リリースしたボビー・グローヴァーやディック・スミス、シュガーフットやレイ・デイヴィスなどのレジェンドたちまで面倒を見たザップ・ファミリーは、80年代に一大勢力を築き上げた。

Zappのアルバム・レヴュー
Zapp/Roger

Zappの代表作。ファンクにジャズにトーク・ボックスも有ればブルース・ハープを有りの、ブラック・ミュージック総絵巻。




cameo
2. Cameo

80年代ファンク・シーンの西の横綱がオハイオのザップだとすれば、東はニューヨーク(後にアトランタへ移ったが)のキャメオだ(ここでの東西は優劣ではなく、あくまで地理的に、ということ)。
ドラマーのラリー・ブラックモンは70年代前半にイースト・コーストというバンドで活動していたが、バンドはアルバム1枚で解散。その後に結成したのが(当時絶頂だったオハイオ・プレイヤーズから名前を取ったのだろう)ニューヨーク・シティー・プレイヤーズというバンドで、コレが後にキャメオへと発展する。
アルバム・デビューは76年だが、キャメオが独自のファンク・サウンドを研ぎ澄ませ確立したのは80年代初頭。ソリッドでキレッキレの鋭いリズムにシャープに切り込んでくる速射砲ホーン、そして変幻自在のヴォーカル・ワークで、ユーモラスでありながらも熱くヘヴィーなファンクは最高だ。一方で、スウィートなスロウ・ナンバーも良曲揃いなのも素晴らしい。
82年の『Alligator Woman』からは一気にバンドの人員を削減。大型ファンク・バンド時代が終焉を迎えるより半歩先に行動し、新しい時代のファンク・バンド像に見事に適応、86年には「Word Up!」のキャリア最大ヒットを生むなど、ファンク・バンド受難の時代にあって最前線でサヴァイヴし続けた。
また、マントラやLAコネクション、キャッシュフロウなど、関連バンドのプロデュースでキャメオ・マナー溢れる作品を輩出した。

Cameoのアルバム・レヴュー
Cameo

Cameoの代表作。大所帯ファンク・バンド時代の傑作群の中でも、一際高い頂き。




slave
3. Slave

ファンクのメッカ、オハイオにおいて、ザップと並ぶ80年代ファンク・バンドの雄、スレイヴ。
スティーヴ・ワシントンを中心に結成されたスレイヴは、77年のデビュー・シングル「Slide」がいきなりR&Bチャート1位の大ヒットを記録。ベースのマーク・アダムス、ギターのマーク・ヒックスといった凄腕メンバーに加え、78年にはドラムスのスティーヴ・アーリントンが加入し、「Just A Touch Of Love」などでヴォーカル/コンポーザーとしても才能を発揮したアーリントンは新参ながらバンドの中核メンバーに。
そしていよいよバンドが最充実期を迎えるのが80年。ワシントンとアーリントンの両スティーヴが揃った最後のアルバム、巨岩がゴツゴツと激しくぶつかり合うようなヘヴィー・ファンクの嵐が吹き荒れる『Stone Jam』こそが、スレイヴの最高傑作だろう。
ワシントン脱退後にアーリントン主導で制作された次作『Show Time』も『Stone Jam』に比肩する傑作だったが、そのアーリントンも『Show Time』を最後に脱退。スレイヴは残されたメンバーでしぶとく活動を続けるも、やはりワシントン&アーリントン在籍時の輝きは格別だったし、オーラやシヴィル・アタックをプロデュースし、やがてPファンク入りするワシントンにしても、自身のバンド、ホール・オブ・フェイムを率いたアーリントンにしても、スレイヴ時代こそがキャリアの最盛期だったことは間違いないだろう。

Slaveのアルバム・レヴュー
Slave

Slaveの代表作。ベースがウネりギターが唸る、スーパー・ハードなヘヴィー・ファンク。




rick james
4. Rick James & Stone City Band

ソロ・アーティストであるリック・ジェイムスをここで取り上げるのは些か反則気味ではあるけれど、80年代のファンクを語る上で彼を外すことは出来ないし、特にソロ・キャリアの前半においてはバンドとしての作品制作にも拘った人でもあったように思う。
モータウンからソロ・デビューする前は、ニール・ヤングと一緒にマイナー・バーズというバンドを組んでいたと言うし、72年にはグレイト・ホワイト・ケインというバンドでアルバムをリリースしていたりもする。
作曲・アレンジ・プロデュースはもちろん、楽器もひと通り演奏できるマルチ・ミュージシャンであるリックだが、実際のアルバム制作においては自前のバンドであるストーン・シティ・バンドを起用しているし、ソロ1stアルバム『Come Get It!』のジャケットには自身の名前と同じぐらいの大きさでストーン・シティ・バンドの名も明記されている。
81年の『Street Songs』は80年代ファンク全体を見ても最高傑作の1枚と言えるほど凄いアルバムだが、リック・ジェイムスとストーン・シティ・バンドの音楽=パンク・ファンクが頂点を極めた作品でもある。『Street Songs』のデラックス・エディション2CDの2枚目で聴ける当時のライヴ音源でも、彼らの熱いファンク魂、ファンク・バンドとしての勢いを感じることができる。
また、ドラムが打ち込みに取って替わられ、ストーン・シティ・バンドの関与が激減した83年の『Cold Blooded』以降、リックが低迷していったことも、やはり彼がバンドマンだったのだということを逆説的に裏付けているようにも思える。

Rick Jamesのアルバム・レヴュー
Rick James

Rick Jamesの代表作。パンク・ファンク完成形。




general caine
5. General Caine

ジョージ・クリントンの神通力に翳りが見え活動が停滞していった80年代に、Pファンク一派に代わって台頭してきたのがこのジェネラル・ケイン。
ベーシストのミッチ・マクドウェルを中心に結成された、前身のブーティー・ピープルでアルバムをリリースしたのが77年。翌78年にはジェネラル・ケインとして1stアルバム『Let Me In』をリリース。
以降、80年代に5枚のアルバムを発表しており、80年代後半にモータウン在籍となったGeneral Kane時代も良いが、80年代初めの2枚『Get Down Attack』と『Girls』あたりがこのバンドの全盛期だろう。LAゲットー叩き上げの重量級ファンクは、ズッシリとした手応えがある。
グレン・ゴインズの弟で元クエイザーのケヴィン・ゴインズが録音に参加するなど、Pファンクとは以前から薄い繋がりがあったが、『Girls』ではフレッド・ウェズリー、メイシオ・パーカー、レイ・デイヴィス、ドーン・シルヴァなど、歴戦のPファンカーが挙って参戦。かつてクリントンが、JBスクール卒業生のブーツィーやフレッド、メイシオらを引き入れ、70年代後半に一大ファンク帝国を築いたが、Pファンクから離反した人材を引き入れ傑作をモノにしたマクドウェルも、80年代を代表するファンク・マスターであることに違いない。

General Caineのアルバム・レヴュー
General Caine

General Caineの代表作。Pファンク譲りの超重量級ファンク。




trouble funk
6. Trouble Funk

ワシントンDCのローカル・シーンから飛び出し世界へと羽ばたいた(が失敗した)、Go-Goのトップ・バンド、トラブル・ファンク。
ノン・ストップ、セイム・ビートで延々とジャムるライヴ特化型のファンク・ミュージックであるGo-Goを、狭いレコーディング・スタジオと1枚50分のLPレコードに上手くパッケージし、特に80年代前半には傑作を多く放った。
80年代後半にはアイランド主導のGo-Go世界戦略の旗印として担がれ、ブーツィーをプロデューサーに招いてアルバム制作を行ったりしたものの、本来のこのバンドの良さやGo-Goの魅力を十分に発揮するには至らず。また一過性のGo-Goブームもすぐに尻すぼみとなってしまい、Go-Go世界進出失敗の最大の戦犯のように見なされているきらいもあるのは気の毒ではある。だが、80年代前半のアルバムやライヴ音源を聴けば、80年代で最もヤバいファンクをやっていたのは彼らだということがよく分かる。

Trouble Funkのアルバム・レヴュー
Trouble Funk

Trouble Funkの代表作。スタジオ録音とライヴ音源の2枚組。




the time
7. The Time

ソロ・アーティストであるプリンスは本稿の主旨からは外れるため取り上げていない。プリンスの傀儡バンドであるザ・タイムにしても、特に初期は作曲も演奏もすべてプリンスで、そこにモーリス・デイのヴーカルを入れただけなので、ファンク・バンドの作品とは言えないのかもしれない。
が、プリンスによるひとりファンク・バンド、ワンマン・ファンク・ジャムであるタイムのアルバムには、当時のミネアポリス・ファンク、もっと言えばプリンス・ファンクの粋が詰まっている。ファンクやソウルと同じぐらいロック(や後にはジャズ)にも影響を受け、多様な音楽性を唯一無二の個性と圧倒的な技量で独自のサウンドへと昇華したプリンスにとって、自身のソロやレヴォリューションとの活動だけでは、溢れ出る創作力に対してアウトプットが追いつかなかった。プリンスの80年代の様々なプロジェクトは、無尽蔵に生み出され続ける創造物の捌け口であり、"俺の考えるファンク・バンド"としての捌け口が、タイムであったのだと思う(その捌け口が無くなった後に制作されたのが『Black Album』だが、アレももしタイムのようなアウトプットの場が有りそこに吐き出されていれば、お蔵入りにはならなかったのかもしれない)。
本稿の主旨に当て嵌めれば、アルバム制作にいくらかバンド・メンバーが関与できるようになった3rd『Ice Cream Castle』を80年代の代表作として挙げるべきかとも思うが、他者の関与を排除した1stや2nd『What Time Is It?』こそ、プリンスのファンク・バンド観がよく顕れているのではないか、と思う。

The Timeのアルバム・レヴュー
The Time

The Timeの代表作。プリンスによるひとりファンク・バンド(+モーリス)




maze
8. Maze featuring Frankie Beverly

70年代初頭からロウ・ソウルという名で活動。彼らをツアーの前座に起用したマーヴィン・ゲイに気に入られ、メイズという名はマーヴィンが名付けたのだという。77年にアルバム・デビュー後は地道に作品制作とツアーを続け、大きなヒットは無いにも関わらず、いつしか国民的ソウル・バンドとなった彼ら。
そう、派手なところなど一切ない、地味ながらも誠実でハートウォームな音楽を紡ぎ続けたフランキー・ビヴァリー率いるメイズは、ファンク・バンドというよりもソウル・バンドいう形容の方がしっくり来るかもしれない。しかし、ライヴ盤を聴けば、骨太なファンク・バンドとしての姿がそこにある。
80年代に2枚あるライヴ盤はいずれも素晴らしい内容だが、『Live In New Orleans』の「You」「Changing Times」、『Live In Los Angeles』の「Running Away」「Too Many Games」、いずれもライヴのオープニングを飾る2曲での、ファンキーでグルーヴィーで昂揚感溢れる素晴らしい演奏。前者の「Southern Girl」のアーシーなファンクネスなど、70年代ファンク全盛期からライヴ・バンドとして叩き上げてきたメイズの地力を感じさせてくれる。

Maze featuring Frankie Beverlyのアルバム・レヴュー
Maze

Mazeの代表作。ライヴ音源+スタジオ録音の2枚組。




shock
9. Shock

オレゴン州ポートランドのファンク・バンド、ショック。
80年に自主制作盤『Electrophonic Funk』をリリースした後、ファンタジーと契約し80年代前半に更に3枚のアルバムをリリースしている。80年代後半以降はなかなかアルバム・リリースの機会に恵まれず不遇を託ったが、94年の『Retroman』も時代錯誤の痛快ファンク・アルバムで清々しい。
バンドの中核を為すのは、この写真の中央で腕組みするロジャー・ソースと、元プレジャーのギタリスト、マーロン・マクレーン。ヘヴィーなファンクが身上のバンドで、特に81年のアルバム『Shock』に収録された「Let's Get Crackin'」は、Pファンク譲りのメガトン級の破壊力を持つヘヴィー・ファンク。一方で、次作『Waves』収録の「That's A Lady」のような軽やかで爽快なファンク・ダンサーもあったりで、聴きどころ多し。

Shockのアルバム・レヴュー
Shock

Shockの代表作。Pファンクの流れを汲むヘヴィー・ファンクと、ほどよくポップな曲がバランスよく並ぶ。




bar-kays
10. Bar-Kays

80年代に全盛を迎えたファンク・バンドを取り上げる本稿で最後に登場するのは、世界最古のファンク・バンドとも称されるバーケイズ。
70年代に活躍したファンク・バンドの多くは、70年代末のディスコ禍で死に絶えるか、生き残っても去勢されてしまったが、しぶとくサヴァイヴして80年代にも優れた作品を残したバンドもいくつかある。ファットバックなんかもそうだが、このバーケイズはそういったベテラン組の代表格だろう。バーケイズの場合、むしろ80年代にキャリアの全盛期を迎えたと言ってもいいぐらいだ。
彼らの特色と言えば、アースやキャメオ、リック・ジェイムス、プリンスなど、その時々の旬なファンカーの作風を堂々とパクり、しかも結構な高打率でオリジナル超えのクリーン・ヒットを放つことだ。
例えば80年の『As One』の引用元の多くは70年代のアースだが、既に死に体だった当時のアースを遥かに凌駕しているし、次作81年の『Nightcruising』はちょうど『Street Songs』をリリースして勢いに乗るリック・ジェイムスをパクっているが、リックを向こうに回して堂々と渡り合っている。そして84年にはミッドナイト・スターをパクっておきながら横綱相撲で堂々と寄り切った最大ヒット「Freakshow On The Dancefloor」。
ともすると、物まねバンドなどと揶揄されかねないバーケイズの芸風だが、これこそが他の誰にも真似できないバーケイズの強烈な個性となっているのだと思う。

Bar-Kaysのアルバム・レヴュー
Bar-Kays

Bar-Kaysの代表作。アース+キャメオな「Boogie Body Land」が最高。